2017年9月17日 -PR-

顎変形症手術入院体験記。顔の腫れがおかめ納豆状態に!食べられることがこの上なく幸せだと思ったこと

「顎変形症(がくへんけいしょう)です。」と言われたのが、ちょうど2年前です。

すぐに矯正歯科で歯列矯正の治療を開始し、とうとう手術日が迫って参りました。

アゴが左右非対称の顎変形症【がくへんけいしょう】と診断されて手術と入院を決意!心配な矯正費用は?

30代前半に全身麻酔して甲状腺の腫瘍摘出手術を受けたことがあるから大丈夫かなと思っていたのですが、こんなに大変な思いをするとは思ってもみませんでした。

きっと同じように悩んでいる方が他にもいるかもしれない。そう思った時に、何か私の体験したことが役に立てたらいいなと・・。

今回、私自身が都内の大学病院で受けた手術と入院体験記をここに残しておきたいと思います。

顎変形症の手術当日から退院までの入院手術体験記

手術前日:入院手続き後は自由に過ごす

入院に必要なものを揃えて、いざ病院へ!着いてすぐに入院手続きを済ませました。

入院期間が約2週間と長いことで、今回はストレスやプライバシーを考えて個室を取ることに。

 

初日は、病室の説明や器具の説明を看護師さんに受けました。

食べたいものを食べておかないと食べられないので、病院内の売店で買うなどして好きなものを好きなだけ食べておくことにしたのです。

個室内では携帯もパソコンも使いたい放題でしたので、とっても快適に過ごすことができました。

好きなように明かりをつけて起きていた後に、特に明日のことは深く考えずに22時には寝ることにしました。

手術当日:全身麻酔で5時間にも及ぶ大手術!

朝8時に朝食をモリモリと食べた後に、8時30分には点滴開始です。

点滴を持ったまま、歩いて手術室に向かいました。鉄の扉でできた手術室の中には、手術担当医や麻酔科医、看護師さんなど20名前後が待機していました。

 

「MIKIさん、僕のこと覚えている?ずっと心配していましたよ。」

1人の執刀医の中に1度だけ診ていただいた違う大学病院の先生がいて、温かく話しかけていただいたことに、ただそれだけで涙が出そうになってしまいました。

執刀医が4名待機していたのは、とっても心強かったです。

顎変形症を発見してくれた形成外科の医師、1度紹介されて行った病院の医師、入院する病院に所属する主治医とアシスタントの医師です。

4人の先生がいると思っただけで、その場でストンと力が抜けていき、胸がジーンと熱くなってしまいました。

女性の麻酔科医の方に「大丈夫ですよ!」と励まされながら、看護師さんにも「安心して」と話しかけられて、髪をターバンで巻いて全身全裸になってリラックス。

いつの間にか視界が狭くなっていき、徐々に意識が遠のいていきました。

 

「MIKIさん、聞こえますか?」

目の前にライトの光がかすかに入り、肩を誰かにトントンと叩かれて目を覚ましました。

執刀時間は、10時30分〜15時30分の約5時間!

長時間に及ぶ大手術を終えて、ストレッチャーの上に乗せられて部屋に運ばれました。

鼻と首に3箇所も管が刺さっていて、ズキズキ痛くて何もすることができず、喉がカラカラで1滴でもいいから水が欲しくて仕方がありませんでした。

夜はアゴの痛みと戦いながら、導眠剤の助けを借りて何とか眠りにつくことができました。

術後1日目:昏睡状態で生きていることがつらかった

「水が欲しい、水が飲みたいんです!」

看護師さんに訴えたくても上手く言葉にすることができず、管が通っているため、水が1滴も飲めずにひたすら我慢です。

これほど生きていることがつらいと思ったことがないぐらい苦しすぎて、思わず病院の窓から飛び降りたくなる衝動に駆られました。

それぐらい痛みと喉の渇きでつらかったんです。

術前は主治医の先生に「術後は悶えるほど痛くないよ〜!」って言っていたのに、先生の大嘘つき!って何度も心の中で叫んでいました。

でも、手術に入る前にブログの読者の方からたくさんの応援をいただいていたことで、ただその温かさだけが私の生きる希望となっていました。

「多くの人に支えられている私は、決して孤独じゃない。」

これだけが私の中で、唯一の心のエネルギー源となっていました。

鼻と喉に痰と血がどんどんたまっていくため、看護師さんに吸入してもらわないと息ができなくなるほどに・・。

でも体が自由に動かなくて、自分でできないんです。生きているだけで精一杯でした。

 

昏睡状態が1日中続き、自分で何もできない状態からナースコールで看護師さんを呼びまくり!

もう迷惑と思われても仕方ないと思いつつ、何度も呼びだして身の回りのことを全部していただきました。

ただ、もう、そこにいただけ。

頭で何かを考えたら「死」を意識してしまうほどでしたので、とにかく何も考えずにベッドに張り付いていました。

術後2日目:顔がパンパンだけれど、徐々に回復!

術後1日目とは比べ物にならないほど、自分の足で立てるまで回復しました。

トイレも1人で行けるし、鼻と喉の吸引も自分でやってみることに。点滴を持って、部屋の中は何とか1人で移動できるまでになりました。

看護師さんが忙しいからこそ、自分の気持ちを律し、何でも自分1人でできるようにしていかないと、体調もメンタルもどんどん悪化していきます。

ただ、やっぱり色んな所が弱っているんですね・・。

身内や家族の付き添いがないと、だいぶキツイです。私は1人で何とか乗り切ろうと思っていたのですが無理でした(汗)何度も家族や友達に付き添いに来ていただきました。

「喉がカラカラでもう死にそう!」と、担当医師が来た時に訴えかけたところ、少量なら飲んでもいいことに!何でも我慢していたらダメなんだと思いました。

 

ひたすら検温と血圧測定と吸引とネブライザーと点滴の繰り返し・・。

寝ていると喉に痰が詰まって余計につらかったので、なるべく起きてテレビを観ていることに。こんなに1日中テレビを今まで見たことあったっけ?と思うぐらい、ボーッと見てました。

というか、それしかできませんでした。

肝心の顔もおかめ納豆のパッケージのように、下膨れの顔でパンパンな状態で、頭は包帯をグルグル巻かれて保冷剤を顔に2つ当てていて、自分の顔ではない状態に。

一体、どんな状態かというと・・、

 

下ぶくれで、ぷっくりパンパン〜!

術後2日目ぐらいが、1番顔が腫れていました。楊枝を指したらバチン!って破裂するかと思うぐらいパンパンでした。

おかめ納豆を作ってらっしゃるタカノフーズさん、今のうちにね、

私の顔をおかめ納豆の限定パッケージに使ってもらってもええんやで(笑)

オファーが来たらどうしよう?と、ずっとドキドキして待っていました。

ただ、ただ、お腹が空いていて、食べる映像がテレビで流れるたびに、お腹だけがグーグー鳴っていました。テレビは目にも胃にも毒かもしれません・・。

術後3日目:4日ぶりのご飯がおいしすぎた!

「もう3日目なので、喉の血をためておく管を取りましょう。」

朝から形成外科の先生に呼ばれて、すぐに喉に通っていた管を取ってくださいました。

首に付いていた2つの管を取ったらだいぶラクになったのですが、取った時のヌルッとした衝撃で貧血になってしまい、帰りは車椅子で帰ってきました。

午後になって、ようやく術後4日目にして初めてのご飯が出てきました。

「生きていてよかった!」

4日間は点滴だけで地獄のようでしたが、ご飯を見たらつらいことがすべて吹っ飛んでしまいました。

ご飯と言っても流動食よりもさらにサラサラのスープに近いです。しかもですね、

口が1cmしか開かない!!

口角が切れていてメチャクチャ痛くて、ちょっと開けるだけでもつらいので、ぶっとい針の注射器を使って、重湯やドロドロおかゆを飲むことに・・。

でも、文句なんてまったく言えないです。本当においしかった。ありがとうございます。

術後4日目:今日から3食に。体に通っていた管も全部外れる

3日目の夜と同じですが、朝ご飯から流動食がでて、3食とも何となく食べられるようになりましたが、大きいものはすり潰さないと口の中に入りませんでした。

点滴もなくなり、鼻についていた管と手の点滴用の管が同時に抜けて、かなりスッキリ!頭に巻いていた包帯も全部取れて、4日ぶりにシャワーに入ることができました。

 

運ばれてくる流動食もとってもおいしくて、勉強になるものばかり!

管が抜けて3食食べられるようになってから、メンタル的にも徐々に回復していくことができました。

 

口が開かずに歯磨きがまともにできませんので、私はスポンジブラシがとっても役に立ちました。

病院に売店がある所は売っているかと思いますが、事前に準備しておくといいかもしれません。

術後5〜10日目:少しまともな顔に。家族やお友達のお見舞いが続く!

顔はおかめ納豆のように下膨れでパンパンな状態でしたが、管が全部取れたことで気分もスッキリしたのか、この週は色んな人と会いたいと思えるように。

家族やお友達がたくさんお見舞いに来てくださいました。

 

ヨーグルトかゼリーかプリンしか食べられない私に、皆様なぜか高級プリンの差し入れ!とってもうれしかったです。

こんなに人からの温かさを感じたことがなく、本当に温かい存在で口がほとんど開かないにもかかわらず、涙腺はずっとウルウルと開きっぱなしでした。

入院してから11日目で無事退院!

入院してから11日目で、無事に退院することができました。

ずっとベッドの上での生活だったことから、外に出た時は足の筋肉量が落ちまくっていることに気がつきました。電車の中も立っていられずに、フラフラ状態でした。

今まで看護師さんや栄養士さんに頼り切りの生活だったこともあり、これから自分自身で食事内容を考えて、自分の手で回復していかなければなりません。

出産の時も経験しましたが、病院を出てからが勝負!

困った時は助けを求めることも必要ですが、いつまでも人に甘えてなんかいられません。

退院後もしっかりと安静にしてケアしていかないと、せっかくの手術が台無しになってしまいますので、自己管理はしっかりとしていきたいと思います。

入院中に1番大変だったことは好きなものが食べられないこと

入院中に1番大変だったことは、好きなものが食べられなかったことです。

3日ぐらいは全身麻酔と手術疲れの影響で眠くて仕方がなかったのですが、4日目ぐらいから体は全然元気なんですよ。

「おいしいかつ丼をガッツリと食べたい!」

手からじゃなくて、口からどれだけジューシーなお肉をたっぷり食べたいと思ったことか・・。

テレビに映るおいしそうな食レポなんて見てたら、食べたいのに食べられないストレスで相当つらかったです。

食べられることがこんなに素晴らしいと思ったことはなかったです。

好き嫌い言って、食べ物を残して選り好みして・・。今までの食べ物に対して行っていたことが、本当に恥ずかしくなりました。

人間は食べることが必要です。

「いただきます」と言う時は「命をいただきます」と思い、これからはいただいた「命」にしっかりと感謝していこうと思いました。

傷とアゴの状態が落ち着いてきたら、さらなる手術が待ってる

「顎変形症」という病気の手術を終えてから、食べにくさなどの不自由さは残りましたが、本当にいい先生達に執刀していただけたこと、本当にありがたく思っています。

1人で乗り切るなんて絶対無理、無理無理!!無理でした。

執刀医の方々、病院の方々、お見舞いに来て下さった方々、遠い場所から応援してくださった方々、

本当にありがとうございます!感謝しつくせません!

まだ全然実感がありませんが、これから腫れが引いたら左右対象の顔になった自分を見て、大手術を乗り越えてよかったと思えてくることでしょう。

仕事にもいっぱい穴を開けてしまいましたし、これからたくさんお詫びの巡業の旅に出たいと思います。

手術や入院なんて大したことないと思っていましたが、温かく見守ってくださる人達がいたからこそ、無事に乗り切ることができました。

あぁ、これで終わった〜!って、実は言ってられません。

アゴの骨を固定する金属のプレートが入っていることで、今度は傷とアゴの状態が落ち着き次第、プレートを除去する手術が待っています。

もう1度、全身麻酔を伴う手術が待っているんです!

もう、イヤだぁーー!(心の底からの叫び)

今回みたいな大掛かりな手術にはならないそうですが、退院したばかりなのにまた手術かと思うと、正直ゲンナリです。

でも、病気をすると考え方が変わってきますね。

人間は見た目の美しさも求めたいですが、この先は健康的に笑顔で生きられれば満足です。

これから先、口がしっかりと開くかもとっても心配ですし、矯正治療もまだ数年の間は続きますので、2箇所の病院への通院も大変ですが、過去に乗り越えたことがきっと役に立つ時が来ると信じています。

人間は、病とは切っても切り離せません。

入院は、人生の秋休み!

ちょっとだけ休んでいる期間、今の時点で自分の今後の人生を枯れないように見つめ直し、これから生きていく道を力強く歩いていきたいと思います。

顎変形症の手術から1ヶ月経過。日常生活で困った事とカツ丼は果たして食べられたのか?

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