2014年8月16日 -PR-

人は人との出会いで生まれ変われる。20年以上離れて暮らす兄に久しぶり会って感じたこと

本日は法事で、実父のお墓参りでした。

私は20年以上も離れて暮らしている2歳上の兄がいまして、お墓参りで久しぶりに再開をすることになったのです。

結婚式を挙げていない夫婦としては、夫も兄と会うことははじめてですし、当然のごとく子どもたちも兄と会うのははじめてのことです。

「ねぇねぇ、今日は誰のお墓参りなの?」

娘達は実父にもおじちゃんにも会っていないため、誰が亡くなっていて誰のお墓参りかもわからず、行く前にキョトンとした様子です。

会ったことがない人のお墓参りなんて、まだ3〜4歳では全然わからないですよね。

「おじちゃんってだれ?」

娘達におじちゃんがいることを教えてもさっぱりわからないのか、頭の上にはてなマークが3つぐらい浮かんでいます。

兄弟でも20年以上も離れて暮らしていたら、もう兄弟という感じではなくて知り合いといったような存在です。

私と兄は、なぜ20数年も離れて暮らすことになったのでしょうか?

今日はそんな私の兄のことについて、ここに書きたいと思います。

実の兄はいじめられながらも心の葛藤でずっと悩んでいた

私の実の兄は、小学校の時から同級生にひどいいじめを受けていました。

兄はそのいじめがつらかったからか、母にずっと家庭内暴力をしておりました。

「みきは家に直接帰ってきてはダメよ?隣のおうちでごはん食べてきなさい。」

小学校3年生ぐらいから、私はとなり近所にランドセルを背負ったまま帰り、近所に避難して晩ごはんをいただいておりました。

父は仕事ひと筋人間で、家にはほとんど不在です。

ごはんを食べて宿題をして、兄が自分の部屋に閉じこもったのを見計らってビクビクしながら帰宅する毎日でした。

家に帰ってきてから母の足や腕が紫色に膨れあがっているのを見ても、何も言うことも、母に何もしてあげることもできませんでした。

自分ではどうしようも出来ないことにずっと歯がゆい思いを抱いて育ち、底知れる悔しさを持って生きてきました。

そんな兄は、実は小さい頃はとっても心優しい人でした。

木登りを教えてくれたり、一緒にカブトムシを取りに行ったり。
だからこそ、私が男勝りに育ったというのもありますが・・・。

そんな心優しい兄は、不良たちに目を付けられて何でも言いなりになり、いじめを受けるようになってしまいました。

「金持ってこい!持ってこないとこの竹刀で殴ってやる!」

母の財布からこっそり金を盗むという行為が、毎日のように続いていたのです。

兄のストレスは、相当なものだったのでしょう。

そのストレスが家庭という1番気の許せるところに、やりきれない気持ちをぶつけていったのです。

心のやり場がなく、それを母にぶつけていただけだったのです。

悪い人からいい人と巡り会って兄は生まれ変わっていった

学校側に母は何度も相談をしに行きましたが、当時はまともに取り扱ってくれる先生は誰1人もいませんでした。

兄はとうとういじめに耐えきれなくなり、母が思い切って決断した結果、中2の時に遠方の寮付きの中学校に転校させることになりました。

かれこれ兄と離れてから10数年経ちますが、兄とは1度も連絡を取ったことも会ったこともありません。

ずっと連絡が途絶えていましたが、父の葬儀の時に久しぶりに会うことができました。

大切な家族との突然の別れ。車の中で燃えて消えた父を見て、過去のつらい経験が今の自分の強さになる

その時は兄と妹というよりは、他人と会話をする感じで淡々と葬儀は終わってしまいました。

しかし今回20年ぶりに会ってみて、正直びっくりしました。

兄はまるで生まれ変わったかのように、とっても深い人間に変わっていたのです。

いい友達、いい先輩たちにたくさん恵まれてきたからでしょうか。

人が人を変える。

兄にとって、まさにこれに当てはまるような人に生まれ変わっていたのです。

想像を超えた人の死に遭遇して。人間としての器が出来ていった

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お墓参りに行った後に、おいしいうなぎが食べられる料亭に一緒に行った時に、兄と色々今までのことを話すことができました。

兄は中卒後に高校には進学せずに、なんと自衛隊に就職していました。

あの忘れもしない2011年3月の東日本大震災のときに、原発爆発直後にすぐに出動もしていたそうです。

放射能を防ぐ内服薬を飲みながら、白い防護服を着ての壮絶な現場での作業が続きました。

歩いても歩いても無念にも「仏」になってしまったたくさんの人達の救出にあたり、はかない人間の命をたくさん見てきたそうです。

人の「死」ほど、受け入れがたい「現実」はありません。

そんな何万人もの救出に1年以上も我を忘れて、ただそこにある使命感に駆られて人を探し続けたそうです。

人間としての生き方に考えさせられることが、きっとたくさんあったに違いありません。

その1人1人に、かけがえのない大切な家族がいるはずです。

被災地への出向期限が切れた後になってから、救い出せなかった無念で兄も遺族の方と同様に苦しんでいました。

こんなにも人のことを考え、人に対する思いやりがいっぱいあふれていた兄に、妹として人として大いなる衝撃を受けてしまいました。

「よーし、おじちゃんが何かおもちゃを1つ買ってあげるよ!」

娘達も兄も色々会話をしてようやく慣れてきたのか、兄が娘達におもちゃを買ってくれました。

「おじちゃん、おもちゃ買ってくれてありがとう。」

食事の後に、売店に売っていたおもちゃを買ってくれたことがとっても嬉しかったようでした。

ありがとう。

人間として尊敬する兄に、見違えるほど生まれ変わっていました。

今後、兄妹として今まで失った時間を埋めていくことは不可能に近いと思いますが、これから新しい関係を築いていけばいいですね。

いつでも人間はやり直すことができる。

20年ぶりに会った兄と再開を果たしてから、私自身のこれからの人生に大きな影響を与えたのでした。

人は人と出会うたびにどんどん生まれ変わることができる

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家の中で竹刀を振り回し、鬼のような形相をしていた兄は、一体どこに消えてしまったのでしょうか?

まるでドス黒くて気持ちが悪い幼虫が、鮮やかな色とりどりの色をしたアゲハチョウに生まれ変わったみたいになっていました。

人って人と出会うたびに、どんどん生まれ変わっていくことができるということがわかったような気がします。

人が人に与える影響って、とっても強いです。

人生の中で、自分の人格形成に大きく影響を与える人は、まずなにより人の存在が大きなところを占めているのです。

私も色んな生き方をしてきて、誰かと出会うたびに生まれ変わっています。

いいこともイヤなこともひっくるめて、色んな人と話すことで新しい知識が頭の中に入っていきます。

兄のようにたくましく生きる人から、人間の命の大切さ、信頼関係を築く大切さ、一生懸命働くことの大切さを教えてもらったような気がします。

そして家族のつながりや温かさを学び、どんなに長い期間離れていても世界に2つとない大切な兄弟であることを認識することができました。

人はたくさんの人から少しずつ影響を受けて、人が出来上がっていきます。

兄と久しぶりに会ったことで、人との関係や出会いをもっと大切にしていきたいなと思いました。

人は人と出会う度に、生まれ変わることができる。

私も人と出会った数以上に人に感謝し、人としての器を大きくして前向きに生まれ変わっていきたい。

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