生きる意味がわからないと何度も目的を失って死の淵をさまよった私が、人生を前向きに生きられた理由
この世に生まれて意識が芽生えた時から、私は絶望の毎日でした。
1度も家族と一緒に食事をしたことがなくて、食卓テーブルは物置きと化していました。
家に帰ると、竹刀を振り回した兄が家の中で暴れまわっていて、家に帰れず野原の中にいる虫がお友達でした。
19歳で父を自殺で亡くしてから更に絶望に襲われて、生まれた時から幸せだと思ったことが1度もなく、ただ息をして生きていただけだと思います。
「なんのために私って生きているの?」
苦しくて泣きたいほどつらくて、人生ってうまくいかないことばかりです。
私が何度も死にたいと絶望の淵に立っても、何とか今のような明るい私に生まれ変わりました。
何度も死にたいと思っていた私が、ここまでどうやって明るい自分に生まれ変わったのでしょうか?
ストレスのない楽しいだけの人生なんてないと割りきった
「楽しくて幸せな人生を送りたい。」
ストレスなく楽しく幸せに生きていきたいという思いは、誰もが持っていると思います。
いい大学に入っていい会社に入って、いい人に出会って幸せな結婚をして、子供にも恵まれて、いい家に住めたら何もストレスなんてありません。
でも実際は、こんなストレートにいく人生なんてありえません。
大学出たのにいい会社に入れなかった。
容姿がコンプレックスで結婚できない。
働く所が見つからなくてお金が増えないなどのストレスが、何かしら生きていると生まれてきます。
「10代、20代は結婚できるか不安だったけれど、30代は子育てやお金のことで不安でいっぱい。」
生きている中でストレスがあるのが当たり前で、どの年代になってもあることがわかってきました。
不安と心配事が日々起こり、ねたんで恨んで人と比べ合い、泣いて笑って戦いながら生きることが、生き抜いていくことだということに気がついたのです。
ストレスのない楽しいだけの人生は、生きてなんていません。
生きているから苦しいことがあるのが普通であるとわかったのです。
人生の試練があった時に、1人で悩むことをしなかったこと
「私のことなんて誰も助けてくれる人はいない。」
父が亡くなって1人気丈にしていなければいけないとき、あまりにも精神がつらすぎて何度も車で海に向かって良からぬことを考えたこともありました。
身内のほとんどから見放され、誰にも頼ることが出来ず、20歳で人生が終わるのかと、何度も絶望感に襲われていました。
若くて未熟すぎて爆発することしか出来なかった私が、どうやって絶望の淵から立ち直ったのか。
それは私の周りにいる、心から温かい人達の手でした。
アルバイト先の店長さんがみんなに声をかけていただいて、色んな人から励ましのメッセージをいただきました。
「お前は1人なんかじゃない。何かあったら僕が相談に乗るから何でも言いなさい。」
落ち込んで抜け殻のようになっていた私に、身内以上に心の支えになったのはバイト先の職場の温かさでした。
今でも父の葬式に20人もの店長さんが駆けつけてくれたことは、決して忘れてはいません。
心のケアは精神科の先生に、お金のことは弁護士さんに、そして心の立ち直りはバイト先の仲間達に助けられていったのです。
「人間って、1人で悩んでいたら決してダメなんだ。」
あの時あのアルバイトをしていなかったら、私は今頃この世にいないでしょう。
絶望のピンチの時、1人で頑張らないことがどれだけ大切か、「助けて!」と叫んで人に頼ることの大切さを教えていただいたのです。
あの時ほど「人間」というものに感謝したことはありません。
悲しみ苦しみを経て、人に感謝する大切さもここで学びました。
自分よりももっと大変な状況にいる人達のことを考えるように
小さいころから1人ぼっちで、さらに身内が亡くなって、自分じゃないのに変な借金取りに追い掛け回されてどん底に陥っていた私でした。
その後にさらに住宅購入を失敗して多額の借金を背負い、夫は職を失ってボロアパートを転々とし、FXで爆死して何百万円も損した私でした。
「こんな苦しい状況の人って、他にいないんじゃないの?」
私はもう乗り越えられない断崖絶壁に立たされたような気持ちでいっぱいでしたが、こんな時に立ち直った方法とはどんなことだったでしょうか?
もっとつらくて苦しい状況にいる人がいるんだよ、と自分にずっと言い聞かせたことでした。
私は現在五体満足な暮らしができています。
足も手も耳も鼻も口も全部持っています。
声を出して話せますし笑うことも出来ます。
好きなものをおいしく食べることが出来ます。
自分なんて、つらいうちになんて入らないということです。
どんなにお金があっても手に入れられないものがあるのです。
あなたがつらいときや苦しいときに、もっとつらい立場の人がいると思うようにしてみてください。
ネガティブな感情が溶けていくのを、あなたは実感することでしょう。
被せていたフタを取って、やりたいことを思う存分やることにした
色々とあった私は、自分の人生にフタをして生きてきました。
母親を悲しませたくないために、親が喜ぶようなルートで生きないとダメだと思っていました。
大学在学中から医療事務の資格を取って、自宅の近くで働きたいと思ったこともあったのは、母の近くから離れてはかわいそうという思いがあったからでした。
しかし色々と転職でうまくいかず、最終的には言われたことをやるだけの受け身人間になっていました。
「自分のやりたいことなんてやってはいけない。」
飛び出したらまたどん底人生がスタートしてしまう怖さがあった私は、なかなか踏みきれませんでした。
「本当にやりたいことって、今やれているのかしら?」
やはり生きている意味がわからなくなっていました。
「人生1度きりしかない。ここで出なかったら後悔する!」
とっても怖かったのですが、思い切って脱線しました。
事故るかと思っていたのですが、何とかなりました。
生きる希望を失いかけていた時、自分がワクワクする事をすることが血が通った生き方が出来ることに気がついたのです。
喜びを心から感じること、涙がわき出すぐらい感動することが、生きる意味を作っていったのです。
「人間って、五感からエネルギーをもらっているんだ。」
生きるエネルギーは、自分の心で作り出すものだということがわかったのです。
生きることと生き抜くことは違う。どう生きていくかが大切だ
生きる希望も生きる目的も、何もかもわからなくなっていた私でした。
でも今は、生まれてからなんと38年間も無事に生きてこられました。
「決して1人の力では生きてこられなかった。」
今は人生のどこから感謝していいかわからないぐらい、人に生かされて生きてきました。
この世に私を送り出してくれた両親に、心から感謝したいです。
必死に家族のために働いてくれた父に、ありがとうを言いたいです。
生きる意味を教えていただいたすべての方達に、心から感謝です。
生きることは誰だって出来ます。
ただ呼吸して食べているだけです。
でも生きることと、生き抜くことは違います。
つらいことは当たり前で、ストレスも当たり前でその中で今1秒ずつ進みながら生き抜いていくことが、生きることです。
まだ38歳です。
90歳の方からみたらまだ幼稚園生です。
過ぎた時間はタイムマシンがないから戻れません。
でもこれからの時間は、まだまだたくさんあります。
日が沈んで夜になったら終わりではなく、明日がやってきます。
雨でも台風でも大荒れの天気でも、必ず明日はやってきます。
今までが大変な人生だったら、これから楽しく生きていけばいいのです。
生きられる時間は、まだまだたっぷりあります。
これからの自分の考え方や行動次第で、未来を明るくしていけます。
生きててよかった。
これからの生き方を大切にしていきたい。
残りの人生、精一杯生き抜いていきたい。
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