命こそ宝。仕事がつらすぎてもう死にたいと思っているあなたにこれだけは伝えたいこと
僕は、父を小学校に上がる前に、亡くしています。父は過労自死でした。
真弘君(マー君)という男の子が、中学3年生の時に書いた「命こそ宝」という作文を、あなたはご存知でしょうか?
私はこの作文を最近になって読み、かなり衝撃を受けてしまいました。
あまりにも自分の父親と状況が似すぎていて、実は同じように悩んでいる人が数多くいるのではないかと思ったのです。
今、もしあなたが「仕事がつらすぎて、もう死にたい。」と一瞬でも考えたのであれば、ぜひこれだけは聞いて欲しいことがあるのです。
責任感が強すぎて、休む余裕もなく働き詰めだった父の思い
真弘君の父は、1日16時間も働く市の職員でした。
胃潰瘍になっても、市の大切な文書を扱う仕事の責任感から、病院に通院しながら土日も休みなく出勤、市議会への資料作成に懸命に取り組んでいました。
しかし、疲労の極みで作成した資料は、部下に任せた部分に、そのまま市の条例にするには許されない間違いがありました。
「もう、やり直す時間がない。」
心身ともに追い込まれた父は、11通の遺書を残して自死。
父の遺書には、以下のことが書かれていました。
真弘様
親らしいことが、何も出来ず許してください。
あなたの無邪気な顔を見ていると、本当に疲れが休まりました。
こんな幼い子を残しておとうさんは・・・どうか、お母さんの言うことを聴いて、助けてやってください。本当にごめんなさい。
母親から父の死が「公務災害」だと認められた時、真弘君が父の遺書を小学5年生の時に読んで、涙があふれてきました。
「こんなに僕を愛してくれた父が、どうして死ななければならなかったのか?」
真弘君は、自分の部屋に閉じこもって、思いっきり泣きじゃくりました。
こうして真弘君は中学3年生のとき、「命こそ宝」と題した作文を書いたのです。
仕事のための命ではなく、命のための仕事である
父は心身ともに過労し、うつ病になってしまいました。
同じ仕事をする人がもう1人いたら、父は死にませんでした。僕は、仕事のための命ではなく、命のための仕事であると考えます。
労働基準法がもし守られていたら、父は死ななかったのではないか?
父と過ごしたのは、わずか6年間。
突然自分の前からいなくなるなんて考えてもいなくて、父に甘えていた僕。
あのままずっと、家族の生活が続いていたら幸せだったのに、あの日を堺に、生活がガラリと変わってしまうなんて・・。
父が亡くなったことで生活が苦しくなって働き出した母も、頑張りすぎて疲れ切り、どうしようもないさびしさに包まれた母が「お父さんの所へ行こう」と言い出しました。
僕達の強い反対により、母は自分を取り戻してくれたのです。
もし一歩間違っていたら、真弘君をはじめ、家族みんなが生きていなかったのです。
これ以上悲しい思いをする人は増えてほしくない思いで書いた詩
真弘君が小学1年生の時に作った「ぼくの夢」という詩があります。
大きくなったら僕は博士になりたい。
そしてドラえもんに出てくるようなタイムマシンをつくる。
ぼくはタイムマシンにのって、お父さんの死んでしまう前の日に行く。
そして「仕事に行ったらあかん」ていうんや
まじめで責任感がとても強く、優しく頼りがいがあった父。
普通の人の何倍もまじめに働く人が、仕事のために命を落としてしまう。
父親の死と向き合うことは、この上なくつらかったことでしょう。
でも真弘君は、同じように悲しい思いをする人を増やして欲しくないという思いで、テレビや新聞などのたくさんの取材を受け、今回は作文にしたのです。
「命こそ宝です。」
命という宝物は、失うと2度と見つかりません。輝きもしません。
この詩を読んだあなたは、これでも「1つしかない宝物」を粉々に割ろうと思っていますか?
遺族はタイムマシンを作りたいと思うほど、時が止まってしまう
真弘君の気持ちが、私の心にズキズキと刺さるほどわかりすぎて、作文と詩を読んでからしばらく涙が止まりませんでした。
私も19歳の時、休みなく働きすぎて、心も体もおかしくなってしまい、闇の心に支配されてしまった父親が自死して以来、しばらく時が止まってしまったのをハッキリと覚えています。
「あの時、もっと父の話を聴いていればよかった・・。私がいけなかったんだ。」
しばらく自分を責めて、責めて・・。
やりきれない思いをぶつける場所が、どこにも見当たりませんでした。
タイムマシンがあったら、今でも父親に会いに行きたいです。会いたくて仕方がないです。
残された家族は、「宝物」が粉々に割れた破片が体中にチクチクと突き刺さったまま、ずっと、ずっと時が止まってしまうことだってあるのです。
大切な家族との突然の別れ。車の中で燃えて消えた父を見て、過去のつらい経験が今の自分の強さになる
命こそ宝。仕事がつらくて死にたくなったら「助けて」と言おう
今、あなたが死んでしまえば、それでおしまいです。
遺族の私がこれだけは伝えたいこと、それは、
命という宝物は、2度と取り返しがつきません。
あらゆる可能性がリセットされてゼロになり、人生が完全に終わってしまいます。
あなたはリセットされるかもしれませんが、家族の悲しみはプラスされ、プラスされた感情はそのままの状態で残ってしまうのです。
今の仕事がつらすぎて、本気で自殺したいと考えているのであれば、「助けて下さい」と言う勇気を持って下さい。
自殺しようと考える人は、「自殺しよう」「死にたい」とは思わないそうです。自殺未遂者の人の話では、「気づけば、自殺しようとしていた」と言います。
正常な思考すらできないほど追い詰められている時は、死にたいと考えられないほど、正気を失っているということです。
今あなたが少しでも「死にたい」と考えたということは、「生きよう」と思っているということです。
周囲にSOSを発信することで、「もう少し生きてみようかな。」という気持ちも生まれるかもしれません。完全には変わらないかもしれませんが、生きられる可能性は広がります。
これ以上、多くの悲しい涙を増やさないで下さい。
あなたが持っている宝物は、誰もが持てる宝物ではありません。
あのままずっと父がいてくれたら、僕たちは幸せだったのに。
あなたが死ぬ前に、これを何度も何度も読み返して下さい。
あなたの助けを待っている人、あなたを必要としてくれる人が、実はいっぱいいることに気がつくはずです。
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