2015年4月25日 -PR-

年子育児はイライラとストレスで記憶がないほど壮絶だったけれど、下の娘が5歳になって楽になったこと

私の娘たちは1歳3ヶ月差の年子です。
長女が早生まれなので、2学年差です。

我が家に生まれてきた大切な2人の命でしたが、年子の育児は想像を超えるほど壮絶な日々でした。

「私って、何のために生きているのだろう・・・。」

実際に育児ノイローゼになって病院に何度もお世話になった私ですが、下の娘が5歳を過ぎた辺りからようやく楽になってきました。

イライラとストレスの日々を抜けて、一体どのように楽になっていったのでしょうか?

大きなお腹の上に赤ちゃんを抱っこしながらの育児

長女を出産して、生後7ヶ月で次女の妊娠がわかりました。
まだ赤ちゃんを育てながらお腹に赤ちゃんがいる状態です。

つわりの気持ち悪さと闘いながら、ハイハイで動きまわる赤ちゃんを追うことが出来ませんでした。

ホルモンバランスを崩しているからか、毎日泣いてばかりいました。

お腹が大きくなる度に、上の子がなぜか甘えてきます。
お母さんが取られてしまうと本能的に察するようです。

大きなお腹に赤ちゃんを抱っこしながらの体力勝負の育児が続きました。

無理をし過ぎたせいか、次女は小さな体で生まれてきてしまった

仕事と育児の両立生活で無理をし過ぎたせいか、次女は37週という早さで生まれてきてしまいました。

産前の産休なんて1週間しか取れず、入院準備なんて追いつかずバタバタの入院劇でした。

体重は2,660gと、通常よりとても小さく生まれてきたために、オムツも通常のサイズが合わず、特注のSSサイズを付けておりました。

「とにかく生き抜いて欲しい。」

手も足も鶏ガラのように脂肪が付いていませんでしたので、必死に母乳をあげていた記憶があります。

次女は新生児黄疸で退院出来ず。家と産婦人科を行き来する毎日

37週という早さで生まれてきてしまったからか、「新生児黄疸(しんせいじおうだん)」という病気にかかりました。

全身が黄色くなってしまう病気です。

通常1週間で一緒に退院しますが、次女だけ置いてきぼりです。

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この写真は、実際に次女が入院していた時の写真です。

光線療法が必要でして、1日中ブルーライトの光線が入ったカプセルに入れられたままでした。

約2週間ほど往復1時間以上かけて通院したのを覚えていますが、上の娘が保育園に通ってなかったらと思うとゾッとします。

真っ黒いまま育ったらどうしようかと、本気で悩みました。

今では真っ白過ぎるほど白いですが、当時は心配で寝られなかったぐらいです。

無事に退院してからは野生動物のように生きてきた

下の子が産院を退院してからは、何もかもがパニック状態です。

1歳3ヶ月の赤ちゃんを育てながら、生まれたての赤ちゃんの世話です。

自分の体も拭くことが出来ず、ほとんど裸で過ごしていたと思います。

長女にご飯をあげながら、下の子がおっぱいを吸う形です。
3人が一心同体となって、動物のように食べていました。

上の子がお風呂に入る時には、下の子をお風呂のそばに置いておきますが、私はほとんど湯船に入れず、シャワーで済ませるのみです。

「このまま私は、ライオンのように生きていくのか。」

どのように子育てをしていたのかほとんど記憶がなく、メスライオンが子ライオンを守るような感覚で生きていました。

今でこそこうやってPCやスマホを見られますが、当時は仕事と家事と育児以外は寝ている日々でした。

体力温存が先であると、本能が察したのだと思います。
生きていることだけで精いっぱいだった記憶があります。

次女が5歳になってから、子育てがふと楽になったこと

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人間とは思えないような生活が続きましたが、ずっとこのような状態ではありませんでした。

実はふと子育てが楽になった時があって、それは次女が5歳ぐらいになってからです。

一体どのような事が、楽になっていったのでしょうか?

外出時にママバックを持ち歩かなくてよくなった

オムツに離乳食に洋服に飲み物にと、ママバックに子供用グッズをパンパンに入れて出かけておりました。

しかしいつの間にかママバックを卒業しました。
今では子供自らが必要なものを準備して持って行きます。

買い物に行く準備時間が節約が出来て、重い荷物による体への負担も減っていきました。

自分1人でトイレに行くようになった

外出時はオムツ交換をすることがストレスでした。
交換台がない場所に行くことが出来ませんでした。

4歳ぐらいになっても必ず一緒にトイレに付いていく必要があり、なかなか出てこなくて外でノックをしてイライラしながら待っていたことも・・・。

しかし今や長女も次女も1人で行けるようになって、「一緒に行かなくちゃいけない」ストレスから開放されることになりました。

あんなにおむつ交換で必死になっていた日々が、とっても懐かしいぐらい楽になりました。

外食で落ち着いて食べられるようになった

外食に行くと子供がいると座って食べていられません。
飽きるとどこかに行ってしまって連れ戻すの連続です。

子供だけ離乳食を別にあげないといけなかったり。
回転寿司に行くと勝手にお皿を取ろうとしたり。

お子様ランチなんて、グチャグチャにしていました。

それがだんだんと立たなくなり、座って食べられるようになりました。

ようやく最近になってから、外食もゆっくりと満足して食べられるようになりました。

何でも自ら率先してやるようになってきた

5歳になってからお風呂でも自分で洗って拭いて、自分で着替えるようになりました。

保育園の準備も、子供自ら準備して登園です。

4歳ぐらいまではずーっと親がやっていたと思うと、考えられないぐらい成長しました。

「お母さん、何かお手伝いすることありますか?」

小さなエプロンを着て、小さなお母さん気分です。

ご飯をよそったり、お箸を並べたり。
洗濯物をたたんで閉まってくれたり。

まだ時々飽きて、途中までたたんでどこかに行ってしまうこともありますが・・・。

 

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5歳になってからは、空き箱でこんなお手伝いボックスを作るまでになりました。

中にお手伝いをして欲しいことを書いて入れると、お手伝いをするというしくみです。

率先してやった時は、いっぱいいっぱい褒めてあげてました。

褒められたことが嬉しいようで、お手伝いをゲームのように楽しんでくれるようになりました。

大きくなるにしたがって自らやるという意識が家族を少しずつ楽にしていったのです。

年子だからこそケンカもするけれどとても仲がよい姉妹

「何で私の洋服勝手に着るのよ!」

「このおもちゃ私のなんだからね!」

年齢が1歳ちょっとしか離れていないと、ケンカをすることなんてしょっちゅうです。

上下関係なんてなく毎日が取っ組み合いの連続ですが、親はそんな時はじーっと様子を見ています。

ケンカもすごいするのですが、実はものすごい仲がいいのです。

女性同士ですからおしゃべりが耐えません。
夜は寝るまでおしゃべりして遊んでいます。

「今日も一緒に寝よー!」

「うん、いいよー!」

 

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2段ベッドがあるのにわかれて寝ずに、常に下の段で一緒に寝ます。

何のために2段ベッドを買ったのかと、親としては毎日複雑な気持ちで過ごしております・・。

親も同時に子供に育てられながら成長していく

年子育児で、生きた心地がまったくしなかった毎日でした。

次女が4〜5歳ぐらいになってから、このようにふと楽になりました。

そんな次女も、今年の4月にようやく6歳になりましたが、7歳と6歳の2人の娘の身長差はほとんどありません。

双子と言ってもおかしくないぐらい見かけもそっくりで、外に遊びに行くのも常に一緒です。

「子育てって、いつまでも大変なわけじゃないんだな。」

赤ちゃん時代はこんなこと言う余裕すらありませんでしたが、今は振り返って言えるようになってきました。

子育てを通して、親も子供に育てられてきました。

発狂しそうな日々で苦しみ悩んできたけれど、問題を1つずつ解決して親も成長していきます。

大変なことの後に、育児の充実感や楽しさがやってきます。

「これからますます2人の育児が楽しみだな。」

6歳になった次女の誕生を心からお祝いしよう。
年子の娘2人といつか温泉旅行に行きたいな。

子育てはいつまでも大変なわけではないですし、いつか終わる子育てまでもっと楽しんでいきたい。

我が家に生まれてきてくれてありがとう。未熟な親ですがこれからもよろしくお願いします。

子供の成長と共に、親もますます成長していきたい。

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