2015年1月11日 

ブラック企業同期入社の女子。楽天株式会社に転職していた!人生に制限をかけているのは自分自身

「毎日退屈な仕事ばかりで、なんだかつまらないなぁ。」

毎日同じ会社、同じ仕事、そして同じルートを通って帰ってくる毎日にヘトヘトになっていた時でした。

普通の会社員として働いてきた自分としては、何だか心に刺激がなくて毎日がとっても退屈になっていました。

そんな退屈な毎日を送っていた時に、衝撃の出来事が起こりました。

日常の風景とは違い、インターネットの力というものは、とっても恐ろしいものです。

時として人生に衝撃を与えて、とんでもない影響を人に与えることがあります。

先日、私の人生観に大きく影響が出る出来事があったのです。

ブラック企業で一緒に働いていた

私は12年前に、常駐派遣プログラマーとして働いていました。

表向きは自社開発と書いてあったはずなのに、だまされて入った人がとっても多かったです。

実体は人身売買と同じでして、売買されるまではじっと待機です。

ちょっと歩けばスタバ日本1号店があるような場所で、銀座松屋通りにある暗い雑居ビルの一室でした。

エレベーターもないようなオンボロビルでした。

こんな大人が集まるような街の中で、いつ身売りされるかわからない無力な若者たちが集まっていました。

ビクビクしながら自分を磨く毎日で、プログラミングの本を片手に自主学習です。

そこに集められた同僚たちは、意外にも士気が高い人達が集まっていました。

男の子ばっかりでしたが、唯一私ともう1人女子がいました。

名前は小池さんとしておきます。

小池さんは私と偶然にも同い年でした。

パンツスーツ姿が素敵なほっそり体型で、『働きマン』に出て来そうなバリバリ働くキャリアウーマンといった感じでした。

「プログラマーって、将来食べていけそうじゃない?」

小池さんは普通のOLのような発想は一切持っておらず、田舎から東京に上京してきて1人暮らしをしていました。

将来誰にも負けないスキルをつけて、お金をたくさん稼ぎたいと野望に燃えていました。

ハングリー精神が、もうハンパじゃなかったのです。

小池さんと一緒に安い牛丼を食べながら、人生についていつも語り合っていました。

ブラック企業に派遣されても発想することが違った

お互い常駐派遣先が決まってからは、別々の客先で働くことになりました。

私も小池さんも、派遣先は決していい所とは言えません。

私は不夜城の派遣先で、文句ばっかり言って働いていました。

「もうどうしてこんなつらい職場にいなきゃいけないの?」

お互いメール交換していましたが、私は愚痴ばっかり言っていたと思います。

しかし、小池さんは違っていました。

「ここで頑張れば、どこでも通用するスキルが身につくんじゃない?」

現状をこなしていくことしか考えていない私に対して、現状より10歩ぐらい先を考えている小池さん。

この時点で脳内の目指している方向が、かなりズレていたことは間違いありません。

このあとも職場を転々と移らされた私でしたが、最後は3日3晩も帰れないような職場にギブアップです。

たまたま職場にいた今の夫と出会って、たったの2ヶ月で結婚してしまいました。

しかし、小池さんは違っていました。
どんな職場だろうと諦めなかったのです。

帰れないような職場でも、楽しんで働いていました。

真っ黒な世界の中、真っ白い目をキラキラと輝かせて、自分の将来に向けてたゆまぬ努力を重ねていたのです。

人脈だけはとてつもないパワーを持っていた

小池さんは私と夫が結婚したときに、お金がないことを感じ取ったのでしょう。

結婚式を開けないことが分かった時は、こじんまりとしたパーティーを企画してくれました。

もう本当に小ちゃな汚いカラオケ屋さんでしたが、MISIAの『Everything』を私は思い切って熱唱してしまいました。

みんなでカンパして集めたであろう大きなケーキが出て来た時は、本気で嬉しかったなぁ。

小池さんが一声かけて開いてくれたパーティーでしたが、彼女の人を大切にする精神をとてつもなく尊敬したのでした。

夫が昨日見つけたネットの画面を見てびっくり

結婚したあとは自然と疎遠になってしまい、まったく連絡を取らずに12年が経過してしまいました。

「ちょっとこれ見て!」

夫がふと小池さんのFACEBOOKを見つけて発言しました。

なんとそこに写っていたのは、とびっきり笑顔の小池さんでした。

「小池さん、楽天にいつの間にか転職していたよ。」

楽天株式会社の真っ赤な看板の前で、外国の方と楽しそうに肩を組んで映る笑顔の小池さんです。

友達には英語名の方達ばかり!

ブラック企業で鍛え上げた知力と人望の結果、なんとも超大手の楽天に転職を果たしていたのでした。

あの間に、一体なにが起きていたのでしょうか?

あの後に、小池さんはとてつもなく努力をしたのだ。
苦しみや挫折を味わいながらも決して負けなかった。

英語力、仕事のスキル、組織で生きていく人脈。

ブラックからホワイトを通り過ごして、プラチナ級に光り輝く姿。

私にはまぶしすぎて、見るに耐えられないほどでした。

どこでこんなに歩く道が分かれたのだろう?

今の小池さんは、世界中に羽ばたきながら働いています。
そうかと思ったら世界の有名な山に登っている姿もあります。

もちろん小池さんは結婚もしていない独身ですし、自分自身のライフスタイルとは別の次元があります。

しかし、あのブラック企業にいた時に、たしか同じラインにいたはずなのです。

そこからいつの間にか道は2つに分かれてしまい、まったく別々の道を歩いて行くことになったのです。

「どこで人生がこんなに分かれてしまったのだろう?」

人と人生を比べてはいけないことは、よくわかっています。

でも今は世界中飛び回りながら笑顔で働く小池さんと、子供がいるからと自分に制限をかけてイヤイヤながら働く私。

あまりにも違う人生に、何だかとっても落ち込んだ昨日でした。

「自分自身、人生に制限かけていないか?」

深夜遅くまで真っ暗な部屋の中で、自分の内面に深くメスを入れることにしたのでした。

人生いつだってやり直せる。決してあきらめてはいけない

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「つまらない仕事はない。つまらないと感じているからだ。」

こういった名言を、どこかで聞いたことがあります。

自分自身の考え方次第で、仕事は退屈にもつまらなくもなりますし、自分自身の気持ち次第で最高の仕事にもなります。

私は現状では、自分自身に制限をかけているに間違いありません。

本当はやりたいことがあるのに、やれないからイライラしているのです。

だから他の人のサクセスストーリーを見て、ねたましく思ってしまうのです。

「本当はもっとバリバリ働きたいのに、育児があるから無理。」

「本当は好きな仕事をしたいのに、夫に迷惑をかけるから無理。」

言い訳をしては、自分自身に制限をかけているのです。

「子供が小さいから自分の時間なんてない。」

だれがこんな制限をかけたか?

他でもない、自分自身です。

この制限を取っ払えるのは、自分自身だけなのです。

手放せたら、きっと自由で楽しい世界が待っています。

人生の中で不満は誰もが持っていますが、不満を抱えるぐらいうまくいかないのが人生です。

でも、今の仕事、本当にやりたかったことなのか?
今の仕事を選んだ条件って、一体なんだったっけ?

定時で帰れて。
家から近くて。

保育園と学童のために我慢してない?
自分自身の気持ちにカギかけていない?

本来デザイン系をやりたくなかったっけ?
残業が多いから諦めたんじゃなかったっけ?

今の仕事、本気で一生やりたい仕事?

一生サポート職で、我慢して終わってしまうのか?

本業収入にまったく満足していないから、副業をしているのか?
本業で毎日が充実していれば、お金への執着心はなくなるのか?

お金が一銭ももらえなくても、この仕事は続けられるような仕事なのでしょうか?

何歳からだって、人生はやり直せます。

あとは新しい世界に飛び込む勇気を持って、今の安心にしがみつかない度胸が大切です。

「この仕事をやるために、私は産まれてきたんだ!」

小池さんが光り輝く姿を見て、私は人生を考え直すきっかけを与えられた気がします。

ひさしぶりに自分自身を磨くために、本屋さんでビジネス書を手に取って買ってみました。

保育園という足かせが取れたあとに、きっと私は自由になれます。

人生はたった1度だけ。光輝く自分をあきらめてはいけない。

その時までに人生の目的を、私はしっかりと本気で考えていきたい。

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