2015年2月23日 

毎日生きるのがつらい時や人生がしんどい時でも、マイナスの出来事もプラスの出来事に変えていける

大学時代に、たくさん学べて遊べましたか?

私は大学時代、まったく遊べませんでした。
高校生の時に部活に燃え過ぎて浪人しました。

大学を卒業してからすでに18年が経ちました。
今振り返ると大学時代は働き詰めの人生でした。

勉強も遊びも出来なかった私ですが、つらい時期を乗り越えて来られました。

今から当時のことを思うと死ぬほど呪っていましたが、あることをきっかけに考えが変わりました。

私が人生の中でつらい時期、一体どうやって乗り越えて来られたのでしょうか?

大学時代に入ったサークルはバラ色でした

「ヤッター!大学合格したぞー!」

浪人生活1年が経過して、晴れて合格です。
これから楽しいキャンパスライフが送れる!

孤独で暗い浪人生活でしたが、明るい桜色の生活が待っていました。

ずっと机にかじりついて勉強漬けの私でした。
動きたくてファミレスのバイトも始めました。

「大学に入ったら、まずはサークルだよね!」

入ったお遊びサークルがとっても楽しかったです。
新歓コンパでは酔っ払って私はどこかへ連れ去られ・・・。

アルバイトよりサークル!
とにかく大学生していました。

学食で集まってダラダラ過ごすことが、とっても楽しかったです。

まさに桜色、いやバラ色の大学生活を夏休みまでおう歌していました。

19歳10ヶ月で人生が180度変わりました

次の日がサークルのキャンプの日でした。
楽しみでワクワクしながら寝ていました。

しかし、いつまでもバラ色の時間は続きませんでした。

19歳10ヶ月。午前2時30分。

いきなり警察から電話が入りました。
母は青ざめた顔で床に倒れました。

「お父さん、亡くなったって・・・。」

自動車で突っ込んで、自らあの世に行きました。

大切な家族との突然の別れ。車の中で燃えて消えた父を見て、過去のつらい経験が今の自分の強さになる

この時から、私の人生は180度変わってしまったのです。

大学生活は労働の日々だった

父が残した借金3,000万円を返す必要がありました。
この日からアルバイトの重労働生活が始まりました。

サークルも当然やめることになりました。
大学なんて単位を取りに行くだけです。

9時から16時まで、必死に単位取得のためだけに勉強です。急いでバイト先に行って17時から時計を回って深夜1時まで労働です。

週5日間、大学とファミレスのアルバイトの両立生活です。

息抜きはアルバイト先での夜遊びです。
週1日は息抜きをすることが出来ました。

この時だけは嫌なこと忘れて遊んでいました。

社員の方も一緒でしたので、ここでリアルな社会勉強をすることが出来ました。

午前4時に帰宅し、現実に戻ると一気に悲しさがこみ上げる日々でした。

「ここで負けてたまるもんか!」

5時から8時まで寝て、再び大学へ向かいました。
せっかく親が出してくれたお金をムダに出来ません。

大学中退だけは避けようとシャープペンが曲がるかと思うぐらい必死に勉強し、孤独に耐えながら単位を取得していきました。

さらなるつらい出来事が自分を襲いました

「なんで自分だけがこんなつらい目に合わないといけないの?」

父親を相当恨みました。
自分の運命を呪いました。

大学生活をキラキラと謳歌して、自由に学べて自由に遊べる人が心底羨ましかったです。

ヘラヘラ笑いながらしゃべっているサークル連中を見るのが、心が締め付けられるほどつらかったです。

歯を食いしばりながらバイト先に向かった私でしたが、待ち受けていたのはさらなる衝撃の出来事でした。

なんとずっと慕ってきたファミレスのエリアマネージャーが、32歳の若さで突然亡くなられたのです。

過酷なブラック環境で働き過ぎました。

先週一緒にカラオケに遊びに行ったばかりなのに。
一緒に「サライ」を肩を組みながら歌っていたのに。

まだ1歳のお子さんがいたはずです。
あまりにも衝撃が大き過ぎました。

こんなにつらいのは自分だけじゃなかった

まだ1歳の男の子を抱えながら、葬儀で気丈に振舞っていた奥さんでした。

「今日はいそがしいのに、わざわざありがとうね。」

奥さんが1番つらいはずなのに、私ににっこりと微笑みながらとても優しい言葉をかけて下さいました。

私の父が亡くなった時にも、葬儀に出席して下さったエリアマネージャーの奥さんの大人の対応に、私はこの時ハッとさせられたのです。

自分はこんな風に、人に優しく出来たことあっただろうか?

大学のサークルの人達にだって、短い間だったけれどとってもお世話になったはずです。

ほんの少しでもお礼を言えたことなんて、私、あっただろうか?

恨みつらみばかり言っていた子ども過ぎる私の態度は、相当ひどかったに違いありません。

つらいのは周りを見たら私だけじゃなかった。
つらいときこそ人に感謝を述べていなかった。

子供もいなかった私以上に、奥さんはもっとつらかったはず。
とても大事なことを、この時に教えていただいたのです。

人生の中でつらい出来事に感謝するとプラスに変わっていく

今から思うと時間という薬がつらい日々を解決してくれました。
時間って、人のココロを治す作用まであることがわかりました。

誰にも怖くて言えないことが、ここまで気持ちを回復させてくれました。

反対に自分をさらけ出したことで、ものすごい明るい人間に変われました。

「あんなつらかった事でもあって良かったんだな。」

私自身のつらい出来事がなかったら、奥さんのつらい経験から教わった出来事がなかったら。今の私はありません。

人の気持ちもわからない、後ろ向きな人間になっていたことでしょう。

つらかった出来事が、自分には必要な過去でした。

取り返しのつかない過去ですが、今から思うと必要な経験であったと思います。

当時は地獄の底に貼り付けられている思いをしていましたが、今はおひさまに向かってプラスに考えられる人間になれました。

奥さんにつらい時こそ人に感謝することの大切さを教えていただきました。

もしまた自分がつらいことに遭遇したとき、人に感謝することが出来る事でしょう。

お世話になった人に、心からお礼を言えるようになることでしょう。

マイナスな出来事が、実はプラスに変えることが出来るんだ。

神様は乗り越えられない悲しみを与えることはありません。

つらいことがあれば、良いことが次に絶対あります。

つらすぎて何度も生きることに負けそうになりましたが、つらいことをポジティブにとらえたことが気が楽になった要因となりました。

私はリアルにもネットにも温かい人にたくさん囲まれています。たくさんの人に感謝して生きてきたからだと思います。

どんな状況でも人に感謝する心を持ちましょう。
自分よりもっとつらい人が周りにいるはずです。

その人の気持をわかってあげられる人間になりましょう。

感謝する気持ちを持つことが、つらいことを乗り越えられる力になります。

つらい人に愛を送れる人間になることが大事です。

その人からもつらい時、愛を送られる人になれますよ。

生きる意味がわからないと何度も目的を失って死の淵をさまよった私が、人生を前向きに生きられた理由

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