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8年間の保育園生活を終えました。子育てにはチームワークが大切だと思ったこと

子供を産みたくても、お金がない不安との戦い。

結婚してから5年間は不安がいっぱいで、子作りが出来なかった我が家でした。

子供の頃から家庭環境が荒れていた夫婦のもとには、立て続けに2人の天使が舞い降りてきてくれました。

早生まれだったことで、生後2ヶ月から預けられた長女。
4月生まれだったことで、友達よりひと回り大きな次女。

1歳3ヶ月差の年子で生まれた長女と次女との通算8年間の保育園生活を、2016年3月31日の本日を持って、無事に卒園することができました。

「人生の区切り」として忘れないように、8年間の保育園生活を過ごしてきた思いを、ここに書き記しておきたいと思います。

保育園に入るために、計画分娩をしてまで早く産もうとしていた

「12月25日までに申し込みをしないと、4月入園の申し込みはできません。」

もう8年も前の話ですが、当時も都内の待機児童数はものすごい数でして、1次募集締め切り日までに出さないと、入園はほぼ不可能と言われていました。

ゼロ歳児で入らないと、1歳児でなんか絶望的な状態。

「これじゃあ仕事に復帰できない。もう早く産んでしまおうか・・。」

出産予定日が1月上旬だったこともあり、もう少し早く生まれれば待機児童にならないのではと、計画分娩が頭の中をよぎっていました。

頭の中がパニクっていて、子供の「生まれてくる意思」なんてまったく無視です。

「生まれてきたい時に、自然と生まれてくればいいんじゃない?」

実母の言葉に、ハッとさせられました。

子育ての先人である実母と話したことで、冷静になることが出来たのです。

年明けに自然と陣痛が来て、元気な女の子を無事に出産。

第1希望の保育園は最初はNGでしたが、役所の方に色々と調整していただいて無事に入ることができたのです。

後悔を残さず産めたのも、私をスクスクと育ててくれた偉大な母のおかげであることは間違いありませんでした。

早生まれの保活体験記。4月入園の厳しさを思い知る。私は自然分娩と計画分娩との心の戦いだった

2人のしんどい保育園送迎生活で疲れ果てて、親の都合で転園

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次女は37週で「黄疸(おうだん)」という、全身が真っ黒い状態で生まれてきて最初は入院したものの、今ではとっても大きな子に育つことができました。

次女が1歳になるまで育休を取ってから、2人の年子の娘の送迎生活が始まりました。

自宅から自転車で約30分かかる場所の保育園だっただけに、3人乗りのママチャリでの送迎生活にしんどくなってきました。

途中でギャーギャー!と泣いて騒いで、2人同時に自転車から降りようとしたり。

自転車を途中で置いて、子供を抱えて保育園に行った挙句、保育園に入ることを拒否して30分も保育園周辺を逃げまわる生活・・・。

1歳児の時はほぼ毎日会社に遅刻して、行ったらお熱の呼び出しですぐに帰る生活。

「もうこんな送迎生活しんどすぎる。仕事辞めちゃいたい。」

そんな矢先に、自宅からすぐ近くのところに保育園が新設されることを知って、心が動いてしまいました。

4月入園に合わせるように申し込み、長女だけ3歳児で転園、次女は入れず2つの園を半年送迎した結果転園。

親がしんどくて疲れたという理由だけで、2人の子たちを転園させてしまいました。

その後も今のマンションに引越しをするために、違う自治体の保育園に申し込みをするものの、やはり待機児童が多くて次女だけ置いてきぼり。

親の都合で転々とさせられた長女に至っては、6年間で4つの園を渡り歩くことになってしまいました。

「一体私、なにやっているんだろう。子供に申し訳ない。」

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せっかく仲の良いお友達が出来ても、「バイバイね。」とすぐにお別れ。

2つの園を夫婦で分担して送迎しながら、何とかして保育園生活を乗り切ってきましたが、子供の気持ちを考えると罪悪感でいっぱいでした。

フルタイム共働きでも保育園に入れないおかしな時代。壮絶な1年間のダブル送迎生活の結果どうなったのか?

くじけそうな時、いつも心の栄養剤になっていたのは保育士さん

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「離乳食作っても、全然食べてくれない。」

「トイレなんて行かずに、隠れてうんちばかり。」

子育てなんかに教科書なんて、あるのでしょうか?
育児書の通りになんて、全然うまくいきませんでした。

うんざりしてイライラして思い通りにいかなかったことで、育児ノイローゼで育児放棄をしてしまったこともありました。

育児放棄したくなるほど子育てがしんどい時、ひとり時間を持つことはダメな母親でも何でもない

身内や忙しい夫に頼ることが出来ず、子供に手を挙げてしまったことを、私は今でもずっと後悔しています。

もうダメ母かもしれない。
子育てする資格もない。

子育てなんかまったく自信がなく、周りが順調に子育てしている姿を見ては、ぐったりと落ち込んでばかりいました。

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そんな悩んで落ち込んでいる私をそっと支えてくださったのは、紛れもなく保育士さんでした。

 

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保育園には「お便り帳」という先生との連絡ノートがありまして、そこに自分の気持ちも正直に書くようにしたのです。

「何でも1人で悩まないでください。時間がある時に2人でゆっくりとお話しましょう。」

保育士さんが貴重な時間を作ってくださり、鼻水を流して嗚咽して泣きながら話す私の話を、じっくりと聞いてくださったこともありました。

心の底から救われました。

ドブの中から這い上がって、ママも少しずつ笑顔で頑張ろうって思えました。

育児もママの心も理解してくださる保育士さんは、私の中では「心のビタミン剤」そのものでした。

8年間の保育園生活でわかったことは、子育てはチームワーク

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色々と思い出して、書きながら涙が出てきちゃいました(泣)

つらかったことが多かったけれど、なぜつらかったのに8年間も乗り越えて来られたのでしょうか?

親の根性だけでは、決して続けてこられなかったです。

「ママ、いってらしゃーい!お仕事ガンバッテ!」

親と離れてさびしがるどころか、保育園に行くことが大好きで、先生がとっても大好きで、その偽りなき笑顔をずっと見ていたからです。

お腹にずっといて、抱っこ紐でずっとくっついていたのに、少しずつ親から離れていくさびしい気持ちもありました。

でもそのさびしさは、周りの温かい方達がいたからこそ乗り越えてこられました。

子育てのエキスパートである母や保育士さん、周りの理解あるママやパパさん、遅刻や欠勤しながらも文句を言いつつ、温かく見守ってくださった上司や同僚。

そして1番のよき理解者である夫。

子育ては1人でするものではなく、チームワークが大切であることがわかりました。

8年間、本当にありがとうございました。

どうお礼を言ったらいいかわからないぐらい、心の底から感謝しています。

少しずつ親から巣立っていく姿を見て、母はたくましい成長をこれからもずっと楽しみにしています。

人生なんて思い通りにいかないことが多く、つらいことがこの先にあるかもしれない。

そんな時は周りの人にどんどん助けをもらって、生きていってほしい。

1人でなんか生きられない。

だから人にたくさん感謝して、助けられたら助けてあげられる人に育っていってほしい。

卒業は、ワクワクする新しいステージのはじまり。

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保育園最後の日に、心温まるお手紙ありがとう。

母は涙でボロボロになりながらも、明日からの新しい生活の準備をはじめます。

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