2015年11月13日 -PR-

人生に生きる価値がないなんて思うな!命は生きるための大切な電池だから、使えるうちは精一杯生きよ

「もう生きる事に疲れた。自分に生きる価値なんてない。」

自分ってなんのために生きているんだろう?と、ふと考えてしまう時があると思います。

育児と家事だけ。
通勤と仕事だけ。
勉強漬けの日々。

お金もないし、明日からどう生活をしていっていいかわからない。
学校や職場に行っても、人から嫌われいじめにあっていて苦しい。

人間同士のねたみに疲れ果てて、ネット社会の無機質な世界にも疲れ果てていたりしませんか?

「もう生きているのがイヤになった。」

私も生きるのがつらくて立ち直れない時がありました。
しかし1つの詩がきっかけで、私は立ち直れました。

生きる価値なんてないと思っているあなたに、ぜひ同じ詩を読んでいただきたいのです。

「命のたいせつさ」をこの詩を読んで考えてみよう

この詩は、宮地由貴奈さんが11歳の時に書いた「命」という詩です。

じっくりとゆっくりと、心を落ち着けて読んでみてください。

命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ

でも電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる

電池はすぐにとりかえられるけど
命はそう簡単にはとりかえられない

何年も何年も
月日がたってやっと
神さまから与えられるものだ

命がないと人間は生きられない
でも「命なんかいらない」と言って
命をむだにする人もいる

まだたくさん命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる

命は休むことなく
働いているのに

だから
私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい生きよう

由貴奈さんは、5歳の時に神経芽細胞腫(しんけいがさいぼうしゅ)という小児がんの一種にかかりました。

1998年6月28日に、5年半にも及ぶ病気との戦いの末、11歳の時に短い生涯を終えました。

この詩は、由貴奈さんが亡くなる4ヶ月前に院内学級の授業で感じたことを書いたものです。

享年11歳。

由貴奈さんの命の電池は、静かに切れてしまったのです。

私はこの詩を何度も読んで、涙が止まらなくなってしまいました。

私自身も何度も生きる価値がないと思って生きてきたからです。

電池は取り替えられても、命だけは取り替えられない

私には、お金がなくなって借金を背負ったことで、命をムダにしてしまった父がいます。

60歳の時に、自らの電池を取り去って動かなくなってしまいました。

お金がなくなっても、また汗水垂らしてお金を稼げば良かったのです。
自らの命が疲れ果てるまで、ムダにせずに生きればよかったのです。

なくなったらやり直しがきかないのが「命」なのです。
これだけは何億円あろうとも、決して返ってきません。

時計が止まってしまったら、電池を変えればまた動き出します。

でも一度動かなくなってしまった心臓を取り替えても、神様から与えられたその人自身は2度と戻ってはきません。

今はかわいい2人の娘がいますが、父は命をムダにしてしまったばかりに、温かくてふわふわのかわいいほっぺが、温かい手で触れなくなってしまったのです。

どんなに悔し涙を流して後悔しても、2度と触れられないのです。

父を反面教師にしたつもりなのに、自分も同じ失敗を犯した

私自身は、3,000万円の借金を作って命をムダにしてしまった父を、反面教師のようにしっかりと地に足をつけて生きてきたつもりでした。

しかし実際に自分自身が父と同じように、一戸建ての購入をして500万円もの借金を背負った時は、父のことを何も批判出来なくなりました。

我が家が新築一戸建て購入を失敗し、借金500万円を作った理由

「お金がないってこんなにつらいことなんだ。もう生きている実感がない。」

電流がどこかでショートしてしまい、動かないブリキのおもちゃのようでした。

頭の中では自分のしたことに、ずっと後悔の気持ちばかりでした。
まさか自分が父と同じことをするなんて、考えてもみませんでした。

冷たい涙が炎にこぼれ落ちたら、今にも消えて真っ暗闇になってしまいそうでした。

生きる価値がないと思っていた時に出会えたのが「命」の詩

私は20代で消えてなくなってしまいそうな時に、ふとこの詩に出会えました。

11年間だけ生きた子が、こんなにも自分の命を日々大切にして生きてきていたのかと、はじめて読んだ時は言葉にもなりませんでした。

自分自身の甘ったれた気持ちにふるいをかけて、もう1度炎を勢いよく燃やすべく、文句も言わずにひたすら働き続けました。

周りがきらびやかな日々を送っていようとも、最小限の生活を維持して懸命にお金を稼ぎました。

「命がドクドク動いているうちは、自分も頑張って働くんだ。」

この思いだけで何とか借金を払い終えた時は、生きる価値がない人間なんていないと、私は心からそう思えたのです。

「生きててよかった。」

そう思えた瞬間でした。

生まれてきた命にムダなものはない。奇跡を大事にしていこう

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なたはなぜこの世に今いるのでしょうか?
自らの意思でこの世にいるわけではありません。

父と母の前にたくさんのご先祖さまがいたからこそ、この世に無事に生まれてきたのです。

その引き継いできた命のリレーのバトンを、自ら落として捨ててしまっていいのですか?

自分の命がいまあることに、その事実に感謝しましょう。

くやしくて、泣きじゃくったり。
うれしかったり、笑ったり。

たくさん歩いたり、思い切り走ったり。
おいしいものを好きなだけ食べたり。

そんなことが出来るのは、今あなたに「命」があるからです。

たしかに生きていると苦しいこともありますが、いつか乗り越えられる時がきます。

苦しいことは、これからの人生に深みを与えるスパイスと考えればいいのです。

苦しくてけわしい山を超えたら、光り輝く日がポカポカに当たって、楽しいことがこれからたくさん待っているのです。

私も今となっては、困難を乗り越えたことで成長できたことに、とっても感謝しています。

1つの山を乗り越えた今でも、うまくいかなくて泣きじゃくって悔しくてまた落っこちることがあります。

でもまた山を目指して登っていけば、心からうれしい喜びを味わうことができます。

生まれてきた命にムダなものなんて、1つもありません。

生まれてきたことの素晴らしさに気づくことで、実は自分って幸せなんだと気がつくはずです。

あなたが生まれてきたのは、実は素晴らしい奇跡なのです。

生きる意味がわからないと何度も目的を失って死の淵をさまよった私が、人生を前向きに生きられた理由

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